「ポケットモンスター」シリーズの生みの親として知られるゲームフリークの創業者であり、現代表である田尻智とはどんな人物なのか?プロフィールや経歴、経営している会社について調査してみました!
プロフィール
田尻智(たじり さとし)
1965年8月28日生まれ。東京工業高等専門学校卒業。
高校在学中にゲーム攻略同人誌『ゲームフリーク』を執筆し、当時のゲーマーたちの間で大ヒット。その際に当時漫画家を目指していた杉村健氏が『ゲームフリーク』を読み、以来イラスト担当として携わるようになります。そしてその後も『ゲームフリーク』をつくる仲間が増えていき、次第に内容が充実していったのだそうです
高校卒業後はゲームライターとして活動し、その後『ゲームフリーク』の仲間と協力してゲーム制作の方向へシフト。初の作品となる「クインティ」は、20万本以上を売り上げるヒットを記録し、その収入で株式会社ゲームフリークを設立したようです。
ゲームフリークについて
1989年に設立されたゲームフリークは、設立直後から「ポケットモンスター」の開発に着手。当初の予定から6年過ぎた1996年に発売すると、国内で822万本、全世界3137万本の売り上げを記録するメガヒットを樹立。世界的人気度を誇るゲームの一角となりました。
その後、第二作目となる「ポケットモンスター 金・銀」以降はゲーム開発の現場から完全に退き、経営に注力しているそうです。
田尻智氏の経歴
田尻智氏にはこのような経歴があります。
1981年 セガ・エンタープライゼス主催の「TVゲームアイデア大賞」で優秀賞を受賞
1982年 『ゲームフリーク』を創刊
1989年 株式会社ゲームフリークを設立。代表者となる。
1991年 万端デザイン研究所・電脳学科「ゲーム概論」のゲスト講師を務める
スーファミソフト「ジェリーボーイ」がキャラクターデザイン賞を受賞
1992年 マルチメディア・グランプリ審査委員に任命される
1996年 「ポケットモンスター赤・緑」を発売
1997年 マルチメディア・グランプリ’97MMCAアーチスト賞を受賞
「ポケットモンスター赤・緑」が第5回日本ソフトウェア大賞“エンターテインメントソフト部門”大賞受賞
あまりメディアに露出する機会は多くはないようですが昔からゲームに関するセンスが高かったことがうかがえます。また、初作品となる「クインティ」の開発には、本来メーカーから提供される開発機材の自作からはじめ、開発環境から一貫してインディーズ形式で完遂したロムカセットを直接ナムコに持ち込んだという逸話も。インディーズレーベルが独自にファミコンソフトを制作し、それが公式に発売されたのは、「クインティ」だけだといいます。
まとめ
「ポケモン」という世界的なコンテンツを作り出した田尻智氏。ゲームフリークは現在は開発などの現場には直接関与していないようですが、一部ソーシャルゲームのリリースなどには関与しているのだそうです。「ポケモン」を中心に今後も日本のゲーム業界を牽引していってくれるのではないでしょうか。