玩具・ゲームの会社として世界的に高い知名度を獲得している任天堂。以前、現代表者として古川俊太郎氏を取り上げましたが、創業者の系譜をたどる元代表者・山内溥とはどんな人物なのか?プロフィールや経歴について調査しました!
プロフィール
山内溥(やまうち ひろし)
1927年11月7日生まれ。2013年9月19日没。
早稲田大学専門部法律家卒業。
任天堂商店の創業者である山内房治郎氏のひ孫にあたり、任天堂をゲーム業界で世界的企業へと押し上げた“中興の祖”として知られる人物。創業者の山内房治郎、2代目として任天堂を法人化した山内積良に続き、第3代目で最後の身内経営となりました。
山内溥氏が代表者に就任した際は「任天堂で働く山内家の者は自分以外に必要ない」という条件を示し、山内家の従兄弟らを会社から退けた他、労働争議の悪化など、就任当時は数々の問題があったようですが、山内溥氏の積極的な社内改革と優れたアイディアマンぶりにより事態は収束。代表取締役社長として、53年もの間指揮を執り続けてきた人物です。
任天堂について
元は花札やトランプを提供する商店だった任天堂ですが、1953年に国内初となるプラスチック製トランプを開発し、1959年にはディズニートランプを発売。それまで博打の道具でしかなかったトランプに、子供向け・家族向けという新たな需要を生み出し、1960年代には一躍業界トップへと躍り出るほどのヒットをとなったそうです。
その後多角化事業の失敗を経てゲーム業界へ参入すると、当時主流だったアーケードゲームを山内溥氏の一言で縮小。他社に先駆けて家庭用据置型ゲーム機の開発に取り組んだといいます。
山内溥氏の経歴
山内溥氏にはこのような経歴があります。
1949年 早稲田大学在学中に任天堂株式会社の代表取締役へ就任
1980年 「ゲーム&ウォッチ」が大ヒットを記録
1992年 HAL研究所の経営危機に際し、資金援助を実施
経営危機に瀕した大リーグ球団シアトル・マリナーズを、ポケットマネーで買収。
大リーグ史上初の非白人オーナーとなった。
2002年 岩田氏に社長職を譲り、取締役相談役に就任
「ファンドキュー」という投資ファンドを設立し、ポケットマネーによる無担保融資を展開
2005年 取締役を退任。相談役となる
日本棋院完済総本部長に就任
2006年 京都大学医学部付属病院に約70億円の個人資産を寄付
この他にも、公益財団法人 小倉百人一首文化財団の理事長を務め、同財団のテーマパーク「時雨殿」建設の際には、21億円もの建築費用をすべて個人で負担するなどしていたそうです。シアトル・マリナーズの買収は、「長く米国任天堂の本社を置かせてくれていたシアトル州への恩返し」という意味で、球団をシアトルに留めたかったとのことで、基本的には口を出すこともなければ本拠地へ行くこともなかったといいます。
まとめ
半世紀以上にも渡って任天堂の代表者の座についていた山内溥氏。その経歴には、実績に違わぬスケールを持った逸話が数多くありました。故人ではありますが、彼がゲーム業界に及ぼした影響は極めて大きいといえるでしょう。