株式会社サクセスの創業者・吉成隆杜氏とは?出身・経歴とか調べてみた

スマホ・PCゲームの開発などを手掛けている株式会社サクセスの創業者・吉成隆杜氏とはどんな人物なのか?プロフィールや経歴などについて調査してみました!

プロフィール

吉成隆杜(よしなり たかと)
1949年2月9日徳島県で生まれました。千葉県立千葉高等学校を卒業しています。

1978年に有限会社サクセスアチーブメント東京(現・サクセス)を設立し、代表取締役に就任しました。
それまで吉成氏はセールスマンとして様々な商材を販売しており、のちに企業家向けの自己啓発教材の販売事業をスタート。これをソードの椎名社長に売り込んだことをきっかけに、コンピュータープログラムの作成及びコンピューターゲーム業界に興味を持ったといいます。
趣味は柔道、大東流合気柔術、読書、旅行とのこと。柔道は七段だそうです。

サクセスについて

サクセスは、ゲーム開発及びパブリッシング、パチンコ・パチスロ液晶ソフト開発、アニメ制作、ビジネスソフト開発を手掛ける会社です。
作品数がかなり多く、1983年の「PLAY BALL」を発売以来、実に1,600ものタイトルを開発。世界のゲーム会社でもトップクラスの実績を持っています。
開発ラインを支えるために内製ツールの開発にも注力しているそう。社内業務改善を目的として開発したものの一部をビジネスソフトとして外販しているようです。

代表作としては、シューティングゲーム「コットン」や、「おさわり探偵小沢里奈」とそのスピンオフ作品である「おさわり探偵なめこ栽培キット」です。

吉成隆杜氏の経歴・実績

吉成隆杜氏にはこのような経歴があります。

1967年 千葉県立千葉高等学校卒
1978年 有限会社サクセスアチーブメント東京(現・サクセス)を設立、代表取締役に就任

インベーダーゲームが日本を席巻していた時代に、サクセスは設立されました。当時のゲーム業界には古い体質が残っており、それに腹が立っていた吉成氏は「自分でゲームを作ってしまおう」と考え、初めて作ったゲームは野球がテーマの「PLAY BALL」でした。同作品は回路設計に1年、動くようになるまで半年と、基板完成までに1年半かかったようです。
1996年頃までゲームのグラフィックは吉成氏が手掛けていたようで、100タイトルに及ぶといいます。当時はまだアナログの作業で、非効率な作業に心底うんざりした吉成氏は、オリジナルのグラフィック・エディターを開発したそう。そのツールのおかげで、作業効率がアップ。開発プロセスにおけるツールの必要性を痛感したようです。

まとめ

世界トップクラスのゲーム開発実績を有する株式会社サクセスは、1,600もの作品を手掛けてきました。代表取締役を務める吉成隆杜氏は、インベーダーゲームが流行った時代に会社を立ち上げ、100タイトルに及ぶグラフィックを担当していたそう。途中でグラフィック・エディターを開発するなど、作業効率アップのためのソフトを開発。開発工程におけるツールの必要性を学び、その後の同社の運営に活かされているとのことでした。

タイトルとURLをコピーしました